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大震災の記録3

地震の発生が金曜日だったことは、少し助かりました。

なにより、次の日が休みだからこそ、苦労して時間かけてでも帰ってこようという気になります。
そうじゃなかったら、会社に泊まって翌日も仕事してたかな。

それに土日の2日の休みで事態も改善するかなぁと考えていましたが、今回ばかりはそうも行きませんでした。

電車は土曜日にはぼちぼち動き始めていますが、JRはなかなか動かなかったと思います。
道路は、首都高速と、周辺の高速が地震直後から全面通行止め、
これは土曜も開通していなかったような…。

その影響か、土曜夕方に近くのスーパーに行くと、いわゆる日配品がほとんどありません。
目についたのはパンと納豆、惣菜、あと確か米もこの時からなかったと思います。
まあ物流が止まっているから仕方がないかなと思い、適当に買い物をして帰ってきました。

結局土日は震災の特番一色になっているテレビにほとんど釘付け状態。
もとよりどこかへ出かけるなんていうのも、交通網と余震の不安で考えられませんでしたが。
(でも少し、スキーでも行こうかなと思ったんですが…)


日曜日は、実家に様子を見に行き、
(地震の夜に兄とメールの連絡で無事は確認出来、土曜の昼に電話も通じました。)
ついでにパンと米を少し分けてもらって帰ってきました。

帰り道、まだムルティプラには半分くらいガソリンが入っていたので、
込み始めていたガソリンスタンドには寄らずに帰りました。

ガソリンに関して言えば、その週明けから不足しだして、2週間ほどその状態が続いたようですが、
あまりクルマを使う必要もなかったのと、ムルティプラの高燃費のおかげで、
混乱の中、何十分、何時間も並んで入れる必要がなく過ごせました。

26日の土曜日に入れたのですが、その際はもうスムーズに入れられました。


さてさて、週明け月曜から電力が不足するという報道が出始め、
日曜の夜には「輪番停電」などという聞いたことのないニュースが流れ始めましたが、
一向に詳細が分かりません。

家に帰って一生懸命ネットを調べて、やっと23時ころに、
どうやら家も停電するらしい、でも時間は夕方でいずれにしろ家にはいない時間らしいことが分かりました。
(息子は学童でみんなと一緒に経験することになるようですが、それならまあ安心です。)

問題は、朝の電車も停電の影響で動かない可能性があること、
それも調べて、どうやら東急田園都市線は、通常の5~6割で運転、ということが分かりました。

まあ、どうしようもないですね。

結局普通に息子を学校に送り出しながら一緒に家を出て、
会社まではメチャ混みの電車でいつもの倍近く、約2時間かけてたどり着きました。

その日は帰りも大変、電車が少なく、駅はどこもホームに降りられず、長蛇の列、
帰りもずいぶん時間をかけて帰ってきました。

その後少しずつ落ち着いてくるのですが、
17日の木曜日には、急に寒くなったこともあり、午後の官房長官の会見で、
夕方からの電力が足りなくなり予測できない大規模停電が起こる恐れあり、と発表され、
さあ大変!
皆が一斉に帰り始めたものだから大混乱です。

家の会社も、定時の小1時間まえに帰宅指示が出て、会社からでたまではいいですが、
結局そんな人々が駅に殺到し、大混雑、改札は入場規制、電車は本数少ないで、
またまた苦労して帰ってくることになりました。

でもママは、仕事でそれどころではなかったらしく、逆に早くに閑散としだした駅や電車で
悠々と帰ってきました。やられたーって感じです。


電車は今日現在も、通常の8割程度の本数、田園都市線は急行の運行も取りやめています。
でも、急行がないほうが、通過待ち、待ち合わせのタイムロスがなくなり、
なぜか早く着くようになりました。このままでもいいかな。


でも、電力不足や計画停電で一番困ったのは、
駅にあるスーパーマーケットの営業時間が極端に短くなったことです。
共働きのため、スーパーやコンビニのお弁当、惣菜に頼っている僕としては、
会社から帰ってきたときにはすでに閉まってしまっているし、
コンビニの弁当はずっと欠品、何も買うことができません。
しばらくはパンも買えず、朝は前日にご飯を炊いて置くようにしました。
夕飯はお手上げ状態、
実家からの差し入れがなかったら、本当に生きていけませんでした。




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大震災の記録2~「空間がかわった」

結局、帰宅難民になることは避けられて、
徒歩で帰らずに済んで、なんとか帰ってきました。

ママは仕事のトラブルも重なり、息子の心配もなくなったので、
当日の帰宅を諦めて翌日朝帰ることにしたとのこと。

駅を下りると町並みは一見平穏、
すぐ前の国道は車がほとんど走っていなく静かな以外はいつもの通りです。

でも築40年近い自宅のマンションに帰ってきて、地震の激しさを実感することになりました。

エレベーターの脇に鉄骨の階段があるのですが、
この裏側と壁面の境目の塗装(何回も塗り重ねて分厚くなっている)がかなりひび割れて散らばっています。
ということはここにズレる力が掛かったということ?
玄関の鉄扉の枠も一部割れているところがあります。
瞬間的にせよ、信じられない歪みが起きたということ?
こんなの今まで見たこともありません。

部屋に入ると更に驚き!
なんか寒々しいと思ったら、窓がそれぞれ大きく開いています。
確かに階が高いのをいいことに、鍵を締めていなかったのですが、
大きな振幅でこんなに開いてしまうなんて…。

もうひとつ!
なんと!食器戸棚が倒れかかっています。

幸い、想定通り、天井との隙間が狭いので、そこで止まっていたのですが、下部の引き出しは全て出てきており、その重心移動も手伝って、前のめりになったようです。
揺れの振幅は相当大きかったということでしょう。
扉は耐震ロックが効果を発揮して、開くことなく、食器の被害もワイングラス1個のみでした。
この耐震ロック、戸棚購入のときにこれだけのために随分納期が延びると言われ、付けなくてもいいかなと悩んだのですが、
付けといて良かった~。

そのほかは、ごちゃごちゃしたものが落ちたり、キャスター付きのビデオケースが1メートル近く移動したりはありましたが、まぁ無事でした。

結局、テレビの情報を見ながら片付けをし、あまりに衝撃的な映像に眠れなくなっているうちに、
今度は新潟・長野県境での余震で激しく揺さぶられ、
確か5時くらいにベッドに入ったのですがその後も続く余震のため、落ち着いて寝ることは出来ませんでした。


そして、8時過ぎに、息子が送ってもらって帰ってきました。
実家はほとんど被害はないとのこと、
息子も僕の顔を見た瞬間、随分ホッとしたような表情でした。

もちろん今までに経験したことのない激しい揺れですから、
7才の子供にとってどれほど恐怖だったでしょうか。
きっと一生心の中に残る体験になるんでしょうね。

ちょうど学校内の放課後クラブに移動したところだったらしく、
皆でマットの下にもぐりこんだそうです。

学童のお迎え(ひと駅ほど離れた所なので、送迎車で係りの人が迎えに来てくれます)が来た時には、
いつも教室の椅子にかけてある「防災ずきん」をはじめて使ったらしく、
朝、家に帰ってくる時も防災ずきんを被って帰ってきました。


前日の地震のことを「空間がかわったんだよ」と話してくれました。
子供同士の会話の中での表現のようです。

確かに、この災害は多くの人に戻ることのできない変化、
すべてが変わってしまった、フェーズが変わった、というような変化
もっといえば日本にとっても歴史が変わった、というようなそういう変化をもたらしたと思います。

子供ながらの「空間」というのは、なかなかの表現だと思いました。

ママが帰ってきたのは、もうお昼近くでした。

大震災の記録1

被災地の人々の心痛や苦労には比べるべくもありませんが、
日記として、自分の生活上の影響についても記しておきたいと思います。

横浜市青葉区に住み、東京都港区の会社に勤めているわけですが、
それでもかなりいろいろな影響がありました。
ニュースなどにもなっていますが、実体験としてお伝えもしたいと思います。

まず、地震の瞬間ですが、
僕は会社の1Fでミーティング中でした。
最初は大きな振幅の揺れ、そのあと細かく激しい震動が来て、
メンバーが次々建物の外に出ました。
周りの建物からも多くの人々が道路に出ていました。

比較的新しく、耐震強度も最高レベルといわれている建物で崩れるとかの不安は感じず、
ショールームになっている割と広い空間にいたのでむしろ中のほうが安心そうで、
そのまま中にとどまり、すぐにテレビを確認に行きました。
東北地方で大きな震度を記録していることが分かりました。

少し落ち着いてきてからミーティングを再開し、終わってから再びテレビを見に行くと
そこに映し出されているものはまったく信じられない映像でした。

大きな津波が街を飲み込み、船が建物を超えて流れ込んでいます。
それ以上は…、文章にもできません。
その映像からは、恐ろしい被害が容易に想像出来ました。

徐々に広がる津波警報の範囲、それもただの津波から「大津波」の警報に変わり…
会社の目の前は東京湾からの運河で、良く見ると徐々に潮位が下がっていきます。
津波の前兆、東京湾も1メートル以上との予報、
さすがに水面との差は2メートル以上あるので、
少なくともオフィスのある2Fは大丈夫そうですが不安です。

その後水が戻ってくるとき、少し大きめのさざ波の状態が見えましたが、
潮位自体はあまり上がらなかったようです。

結局定時の6時まで普通に仕事をし、
でもその前に官房長官から「勤務先での待機を」という会見、
確かにすべての電車が止まっているとのことで、帰るすべはありません。

自宅に向けて歩きだしている人も大勢いるとの報道ですが、
ターミナル駅周辺は大混乱のようです。
家までは約25km、歩くのも不可能ではないけど、もう少し様子を見ることにしました。

その間、一番気になるのは学校から学童保育に行っていると思われる息子のこと、
学童への電話は一向につながりません。
災害時は、最後のお迎えまでは責任を持って預かってくれることにはなってはいますが、
そもそも無事なのか、被害がなかったのかもわかりません。
ママとの連絡も、電話はつながらず、メールは行っているはずですが帰ってきません。

結局18時半位にまとめてメールが入ってきて、
19時過ぎにママと連絡が取れて、
当然ママも同じ港区内の会社から帰れず、
頼みはママの実家、横浜市内で自宅からクルマで20分ほどのところに住んでいるので、
息子の学童へもそれくらいで行ってくれる距離です。
(迎えが遅くなるときに、代わりに行ってもらうことも多いです)

20時過ぎに、やっとママが実家に連絡がついたそうですが、
もうとっくに迎えに行ってくれていたそうです。
その日はそのまま実家で預かってもらうことになりました。

21時を回る頃には、地下鉄が少しずつ運行を開始しました。
でもJRはその日の運行を取りやめることを発表、
社内でも帰ることを断念する人、歩いて帰る決断をする人、
それから、動き出した鉄道の状況で何とか帰れそうな人が出てきました。

23時少し前、東急が全線でとりあえず運行を開始とのニュースを得て、
とりあえず帰るルートがつながったので、会社を後にすることにしました。
まずは都営地下鉄浅草線、ホームにはタイミング良くスムーズに入れ、
ちょうど出ていく電車を見送ったのですがかなりの混雑です。
それから10分弱待ち、ホームが溢れそうになった頃に入ってきた電車は
すでに満員状態、数人しか乗れなかったのですが、
それでも最前列に並んでいたので何とか乗りました。

そんな状態から乗り換えた東急大井町線は、
JRが運行していないために乗ってる人も少なく、楽に乗れました。
そして田園都市線に乗り換えるのですが、これがまた超混雑、
1本見送ってその次にやっとなんとか乗れました。

結局、通常1時間ちょっとのところを、2時間かけて、深夜1時過ぎに家に帰ってきました。



息子への形見分け




実家で、父の形見分けの話が出たとき、
爺のモノがなにかもらえるらしいというところで反応した息子は
「ぼくは、榛名にあるあのくねくね曲がる定規が欲しい」と言い出しました。

いわゆる折尺で、僕が子供のころからあるもので、僕も好きでした。
息子も、もっと小さいころから榛名に行くたびにどこからか見つけてきて
いろいろ形を変えて遊んでいました。
そのたびママから「それは爺のだからね、壊さないうちにやめなさい」と
たしなめられていたので、何かもらえるとなった時に真っ先に思い浮かんだのでしょう。

今回も見つけてきて楽しそうに遊んでいましたが、
「形見分け」で「いいよ」って婆から言われたことはすっかり忘れていたようです(笑)。

しばらく(ずっと?)榛名での楽しみに置いておきましょう。

今年初の榛名

この週末、久しぶりに家族で榛名に来ました。
ママはムルティプラで初榛名です。
冬型の天気でよく晴れているのですが北風が強く、高速ではさすがにちょっとゆっくりペースになりました。

去年の11月以来、
本当はスキーにも行きたいのですが、今回は時間的に余裕がありません。

まず、地震の被害が心配でしたが、多少ものが落ちたり、食器が倒れたりしてる程度で、大きな被害はなく一安心でした。

それから…、父が亡くなって以来、妹家族が2月に一度来ていますが、この場所は去年の8月、孫たちと半月ほど過ごしたときから時が止まってるようにひっそり、カレンダーは8月のままです。

ここはまだ冬の景色で、
上って来る途中ではまだ梅がやっと咲いたところ、夕方には外気温は0度になりました。

左右に続く梅畑を見ながら榛名山を上ります

風景はまだ冬

ムルティプラ全点灯

中腹から見た高崎の夜景

今日営業を再開したばかりという、車で5分ほどのハルナ温泉で温まって来ました。

あめ細工 吉原






谷中にお彼岸のお墓参りに行った帰り道、千駄木の「あめ細工吉原」に寄りました。

前日に奥さんがたまたま雑誌の記事で見つけたところです。

目の前でリクエストに応じて3分で作り上げてくれます。
色鮮やかでなかなか綺麗です。
味もいいです。
息子のリクエストは「クジラ」でした。
甥と姪は「イルカ」と「うさぎ」です。

イベントが中止に

こんな状況ですので止むを得ないというか、当然というか、ですが
イベント次々に中止が発表されてますね。

参加を申し込んでいた、3月27日の成田モーターランドでのデルタカップは5月に延期、
4月3日の富士スピードウェイでの「ヴィターレ・イタリア」も中止、
5月のアルファロメオ・デイも中止だそうです。

残念ですが、ガソリンを無駄に使うことも憚られますから
賢明な判断だと思います。

東日本大震災

日に日に明らかになる被害の大きさ、

想像をはるかに越えた地震と津波に、多くの人が命を落とされ、
逃れることができた人も、この寒さの中で極限の避難生活を余儀なくされていることを思うと
本当に心が痛みます。

それが適当なのか…「頑張って」と言うくらいしか言葉にできません。

多くの人々が全力で取り組んでいるのに、思うように進まない援助物資の状況、

関係者の命懸けの対策にもなかなか状況が好転しない福島第一原発、

どれほど過酷な試練なのでしょう。
いてもたってもいられない気持ちです。

祈りたいと思います。
どうかもう少しだけ、くじけないで下さい。
私たちの心は、共にあります。痛みや苦しみを分かち合えるように。

巨大地震

今日の地震、凄かったですね。
かなりの被害のようで、被災された方に心よりお見舞い申し上げます。

都内の会社勤めですが、夜11時になってやっとなんとか帰れる電車が動きはじめ、今帰宅途中です。

チャンピオンシップ・レースのラップチャート

さて、そんな感じでチャレンジクラスの6位となったMyデルタですが、
レース中のラップタイムを記しておこうと思います。
エンジンノーマル、足回りも、アラゴスタではありますがF6kgR3kgの乗り心地仕様ですので、
普通のデルタはこんなものかな。

1週目…2’35.795
2週目…2’16.135(ベストタイム)
3週目…2’17.222
4週目…2’17.514
5週目…2’17.193
6週目…2’16.597
7週目…2’21.861
8週目…2’16.592

トータルタイム…18’38.909

ちなみにレース終了時のギャップは
5位との差…2.972
4位との差…5.308

後ろは
7位との差…1.106
でした。

7週目が遅いのは、100Rで一度ランオフエリアに逃げた分です。
2週目のベストタイムは予選よりいいタイムです。

こうしてみるとレースしながらでも安定してラップが刻めていたんで
良かったです。
結構満足!

ちなみに予選決勝通してのデルタ最速は、
予選時のトップ、コルソマルケの上田さんの2’00.851です。
1周16秒差があるということは・・・
あと1週あったらラップされていたということですね(笑)

デルタ・チャンピオンシップのレースのほうは…

さてさて、まず予選結果はタイムが2分16秒768、
どのラップも失敗していたことを考慮すると、それでも前回より0.5秒以上アップなので、
まあ納得のタイムです。

順位は28台中20位、クラスでいうと13台中7位です。
このクラスというのが「マイスター」と「チャレンジ」の2つなのですが、
富士で言うと2分10秒を切る人はマイスターということになります。
僕のベストは2分17秒3ですから、当然チャレンジ、でも7秒も早い人も同じクラスの可能性あり、
ということになります。
案の定、クラストップはコタケさんの2分10秒832で断トツ、
2番手はABARTH7さんの2分14秒740、ここから僕の後くらいまでが割と接近しています。
エンジンはノーマル、トレッドもノーマル、タイヤもラジアルですからいいほうかなと。
結構Sタイヤ、ワイドトレッドのクルマも多かったようですから。

DSC01349.jpg

DSC01351.jpg

そしていよいよレース、なのですが、
パドックに予選順位順に整列してみると、ポツポツ空席が…
決勝出走を果たせなかったクルマが7~8台いたようです。
まあデルタですからね、仕方ないですね~。

ということで、決勝グリットにつけるだけでも幸せです。

さあピットロードから1周してグリッドにつき、3分前、1分前、30秒前
(見えることは見えるけど、随分遠いです。1位はあんなに前なんですね~)
赤シグナルが1個、2個…5個、そしてブラックアウトでスタート!!

ちょっと間が長くて合わなかったので、普通ののんびりスタートのようになりました。
とりあえず前のクルマについていきます。
後ろからは予選タイムがでなかったマイスターのクルマがビュンと前に行きます。

レースだけど、遊びだし、クルマ壊したら帰れないし、
ましてや人さまのクルマにぶつけるなんてことがあったら大変、と慎重に進みます。

1コーナー、先頭集団で混乱があったらしく、黄旗振動、スピンしているクルマが見えます。
ここは無難に抜けました。

その次の3コーナーでも黄旗、
100Rからヘアピンの進入で1台パス、でもシケインの進入では別のクルマにパスされ、
2週目の1コーナーではインを突いて1台パス、
てな感じで、結構アツくなります。

4週目くらいから、なんかいやな振動が…
クルマ壊れたか?エンジン?タービン?それとも駆動系か?
でもミラー見ても煙出ている様子ないし、パワーも落ちてないし。
ストレートに戻ってくると振動が顕著で、ついつい全開にできなくなります。
でも後ろは迫ってくるし、どうしよう。
オイル吹いて周りに迷惑かけたくないし、もう止めたほうがいいのかな、
なんてことも考えながら、でも普通に走るので、ドキドキしながら様子見です。

そのうちに、「もしかしてタイヤカス拾って振動が出ている?」ていう風に思うようになりました。
(本当はなんだかわかりません。でも徐々に収まった気もするし、帰りの高速もまったく問題なかったので今のところタイヤカスが有力です。)

それから、ハードブレーキング時に少しジャダるような感じです。
これはちゃんとチェックしないといけないかもしれません。


まあとにかく、予選時には「これは絶対8周持たないな」と思ったブレーキも
それほど効きが甘くなることもなく、何位だか知らないけど順位キープで迎えた7週目、
3コーナーの立ち上がりで前を行くクルマがスピンしているのが目に入りました。
そのままふらついてコース中央へ、仕方なくアウトのコース外へ逃げ、再びコース復帰。
でも、その時、後ろの2台に先を越されてしまいました。
(タイミング良くイン側に逃げられたのでしょう。)
悔しいけど仕方ありません、あの時インに逃げる選択肢は僕の位置ではありませんでしたから。

結局最終ラップのシケイン飛び込みで1台を抜き返しましたが、そこまで。
終わって初めて分かった順位はチャレンジクラスの完走10台中6位でした。


まあ僕としては安全な範囲内で前後の方と楽しくレースさせていただいたつもりです。
もし知らないうちに危険な目に合わせていたとしたらゴメンナサイ。

しかし、いつもはタイムを競う走行会でしたが、レースも結構楽しいもんですね。
デルタ同志っていうのもいいですね。

今回企画運営してくださいった皆さん、楽しませていただきました。
ありがとうございました。

あっ、それからレース後、ポンダーも返さずに表彰式、ジャンケン大会を楽しんでしまいました。
すみませんでした。


そんな感じで、珍しく結構ミスもしたし、バタバタでしたが、
またやれるといいなと思いました。
DSC01352.jpg


デルタ・チャンピオンシップ当日の様子




今日はいい天気だったですね。

絶好のレース日和!

朝の受付が7時からと、かなり早起きをしました。
でもその分、午前中ですべて終わるので、それもいいかなと思います。

東名高速を横浜青葉から御殿場まで、
前日取り付けたブーストコントローラーの具合を見ながら走ります。
LOWで0.9(通常時の燃費走行用)、HIGHが1.1、
ノーマルでも1.2までOKとのことですが、
今回は初めてなのでマージンをとることにしました。
立ち上がり早く、きっちりブーストが掛かるのはいいですね~。

御殿場で下りて、給油に立ち寄ったGSで
立ち往生する16Vに遭遇。
携帯を忘れて仲間に連絡できないとのことで、言付けを預かってFSWへ向かいます。

7時15分ころに到着すると、すでに多くのデルタが集まっています。
さすが、みんな熱心で結構まじめですよね。

いつものコレチ仲間を見つけ、となりに並ばせていただきました。



さてさて、受付を済ませると結構あわただしいです。

8:00~ドライバーズミーティング(30分)、
デルタの人々にはそのあと15分ほど追加の注意が。
なれないレースだし、コースでストップする可能性も高いし、真剣に聞きます。

9:00~プラクティス(20分)
これが、スーパーカークラスとかも一緒なので、凄いポルシェとかが
ストレートやコーナーや、どこでもビュン!と抜いていきます。
結構神経使います。

挙句に、戻ってくるとタイム計測できていないとのこと、
トランスポンダーの取り付けはみんなと同じように、リヤのナンバープレートなんですけどね~
とりあえずリヤバンパーにつけるようにとの指示でした。


10:00~予選(20分)
フォルクスワーゲン・アウディクラスと混走ですが、スーパーカーが居ない分、走りやすいです。
でも、余計な力が入るのか、ミス連発。
せっかく取れたクリアラップでもネッツコーナーで突っ込みすぎてアンダー、
そのほかにもストレートに出てきて、シフトミスなど、
残念ながら、これは、という周回はなかったです。

そして11:30~決勝です。
その様子は次回。

秘密兵器と最終整備



秘密兵器ってことでもないですが、
GRATOでブーストコントローラーをつけてもらいました。
どなたかが外されたのか、中古品があるとのこと、
HKSのEVCⅢです。


全くのノーマルなので別にブーストアップするという訳ではなく、あくまでしっかり管理するためです。
今まで純正を信じてきましたが、メーターが当てにならないとか、アクチュエーターがダメになるとブーストがあがり過ぎてエンジン壊すとか、やっぱり不安要素ではあるので、
せっかくなので付けることにしました。

それから、ずっと持っていながら替えそびれていたスパークプラグを交換。
これ、あらためて写真で見るとひどいですね~。




リヤスポイラーを半分寝かして準備完了です。


ブーストコントローラーの設定をしてもらって(ノーマルだし安全策でHighで1.1です)、乗ってみての感想は…

かなりいいです。
ブーストのかかりが早くなった感じ、低速からスムーズにパワーも出てくるようで、乗りやすくなりました。
実はスパークプラグの影響も大きいかな。

これでデルタ・チャンピオンシップも気持ち良く走れそうです。

GRATOのわんちゃん「ワン」ちゃん



今日GRATOに行ったら、わんちゃんがいました。
名前は「ワン」ちゃん。生後3ヶ月だそうです。

チョロチョロと可愛く動き回ってます。

最初はおっかなびっくり、噛まれると手を出せなかったのですが、
段々慣れて最後には仲良しになって遊んでました。
プロフィール

タクマロン

Author:タクマロン
横浜市青葉区在住。

2004年3月、3年ほど乗った16Vに次ぐ2代目として
赤象=95年式デルタ・コレッチオーネを購入、
2009年5月には2台目として赤蛇=98年式アルファGTV3.0を追加、
しかし2010年10月には、GTVから青ウーパールーパー=2004年式フィアット・ムルティプラへ乗り換えました。

イタリア車にまみれた日々の生活の中で、
クルマや息子のことなど綴っていきます。

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