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大事な話

このブログの趣旨や趣向、今まで書いてきたことからするとぜんぜんそぐわない話です。

でも、子供のころから日記は三日坊主だったのに
この「ブログ」という形で1年以上つづけているのだから、
これは今の僕にとっては大事な日記です。
そのなかに、このことを綴っておかないのは不自然だし、
いつか読み返すことがあるとしたら残念に思うでしょう。

何しろ、今の僕の心の中、頭の中の大部分を占めている、
これは大事な話なのですから…

まぁ知っている人、知らない人、いろんな人が見れるものですから、
なかなか書く気になれなかったのも事実です。



今、僕の父(80歳になります)が病に伏して入院中です。
もっと具体的にいうと、
先週の木曜日から集中治療室(ICU)に入って人工呼吸器をつけています。
最初は気管挿管(いわゆる気管チューブを口から入れた状態)によるものでしたが、
昨日、気管切開による人口呼吸器に切り替わりました。

その処置から後、薬でぐっすり眠っているようです。

気管挿管ならば改善すれば外すことも考えられますが、気管切開となると
基本的には戻ることはできないようです。

このあとどうなるのか…
少なくとも楽観的な希望は持てないことだけは確かなようです。
相当の覚悟をしなければならない、そういう状況でもあるそうです。

この時間の存在、
どう気持ちを整理すればいいのか、
何をすればいいのか、
結局ただ無力感だけが増していきます。



経緯は、
そもそも数年前(あまり意識していませんでしたがもう5年くらいになるようです)、
定期健診だったか、咳がひどくて検査を受けたのかで
「間質性肺炎」と診断されたのが始まりです。

原因がわからない「特発性」、特定疾患に指定されている難病です。
肺の線維化により呼吸をしても酸素が取り込めなくなり、最終的には呼吸困難に陥ります。
病気についてここで説明するのは趣旨ではなので専門サイトに譲るとして、
これといった治療法がなく、しばらくは静観するのみ、
父の場合も、昨年の夏から、数ヶ月前に承認されたばかりの新薬の投与を始めました。

そして今年の夏前、肺がんであることがわかりました。
転移はなかったのですが、
間質性肺炎のため、そして高齢のため、摘出手術や放射線治療は不可能とのこと、
抗がん剤投与が唯一残された道で、
孫たちとの夏休みを榛名で過ごした後の8月下旬から、
入院退院を繰り返しながらの抗がん剤治療に入りました。
抗がん剤の副作用はそれほどではなかったようですが、
それでも途中2回、意識を失い救急車で運ばれたりしています。

そして11月、4回目の投与はだいぶ慣れてきて12日に通院で実施、
13日には僕と息子は実家にいって、妹家族も集まり一緒に食事もしましたが、
翌週の18日、高熱と咳がひどくなり病院へ、肺炎とのことで即入院となりました。

間質性肺炎は、感染症などをきっかけに一気に病状が悪化する「急性増悪」が恐ろしく、
風邪やインフルエンザには最新の注意が必要とされています。
幸い肺炎は早期に発見できたとのことで安心していいのかと思っていました。
でも結局25日の朝、
激しい咳が止まらなくなり酸素の取り入れ量も危険なレベルまで落ちたことから
人工呼吸器を装着、
そのための検査の過程で、間質性肺炎の急性増悪が始まっているとの診断がされました。

酸素量の確保により、落ち着いているようには見えます。
ステロイドパルス療法も行われました。
初日には改善も見られ、とりあえず意識が戻った翌日夜には、うちの家族3人も面会ができました。
握った手は以外にも暖かくしっかりと力がありました。
言葉を発せないもどかしさもあるのでしょう、目に涙を浮かべていました。
何度も握手して帰ってきました。

28日日曜日の夕方に面会した際は、
鎮静剤で朦朧としているのか、それでも目は開けてくれました。
やっぱり涙がにじんできました。
手を握る力はあまりありませんでした。


月曜には、血液中の酵素が症状の改善を阻んでいるとの判断で、人工透析が行われました。
2回までしかできないそうで、月曜火曜と実施したと思います。

そのせいか昨日は少し調子が良かったそうで、昼間は母の質問に首を動かし応えていたそうです。

でも、恐らく短期で人口呼吸器がはずせるような改善が見られないこと、
そのほかのリスクを考え気管切開への移行になったんだと思います。

医師からの説明は、母と兄が聞いているため、僕の話は正確性に欠けると思います。念のため

このように、間質性肺炎の患者がたどる道を確実に前に進んでいるような状況です。

日進月歩の今の医療でも、進行を遅らせる可能性はあっても、治すことができない難病です。
正直なところ、先のことを意識せざるを得ませんが、

気持ちだけでも明るくもって、
まずは明日の午前中にもう一度父の顔を見てくるつもりです。


父は、無茶や無理はあまりしないタイプで、流れに身を任せるというか、ナチュラルに生きてきたんだと思います。(たぶん、僕もそういうところは受け継いでいる気がします。)

本人は最期も自然に、と望んでいましたが、何が自然なのか、何もしないことではないと思っています。
今の治療を受け入れてくれ、家に連れて帰れるようになったらいいと願っています。
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読ませていただきました。

ありがとうございました
プロフィール

タクマロン

Author:タクマロン
横浜市青葉区在住。

2004年3月、3年ほど乗った16Vに次ぐ2代目として
赤象=95年式デルタ・コレッチオーネを購入、
2009年5月には2台目として赤蛇=98年式アルファGTV3.0を追加、
しかし2010年10月には、GTVから青ウーパールーパー=2004年式フィアット・ムルティプラへ乗り換えました。

イタリア車にまみれた日々の生活の中で、
クルマや息子のことなど綴っていきます。

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