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12月9日までの病状~その1

四十九日も終わり、このへんで記憶を整理したいなという気持ちもあるので
前回父の病気について書いた12月1日から、
12月9日に天に召されるまでの病状の変化などについて記しておこうと思います。

12月1日は、人工呼吸を気管挿管から気管切開に切り替えた翌日でした。

前日、母の話だと、気管切開の際の出血が思ったよりひどく、手間取ったとのこと、
(午前中に今日実施する旨聞かされて、午後病院に行くとすでに施術が始まっており、面会まで数時間待たされたようです)
患部からの出血は収まりましたが、胃液にも血液が混ざっており
これがどこからの出血によるものかは不明で、様子を見るとのことでした。

その日、僕も仕事後に病院に向かうつもりでしたが、
兄とのメールのやり取りで
鎮静剤で深く眠らされているので面会しても意味がないとのことで途中で引き返しました。


翌日、医師から説明を聞いた兄の話だと、
出血は播種性血液内凝固症候群(DIC)によるものとの診断でした。
これも調べてみるとかなり厄介な、状況から考えると危険なものと思われました。

輸血をして少し熱があり、引き続き鎮静剤でかなり深く眠らされているとのこと、
翌日も同じだろうとのことでしたが、日曜以来面会に行っていなかったので、
眠っていてもいいからとりあえず様子を見に行こうと思いました。
(それが前回書いた、とりあえず行ってきますというところです。)


そして12月2日の木曜日、予定通り午前中に病院に行きました。
午後から会社に行くつもりだったので電車で向かい、10時ごろには着いたと思います。
病院のロビーで母と落ち合い、エリアまで行きましたが、処置中とのことで待たされました。
母の話では、午前中早めに行くとたいがい待たされるとのこと。
(ICUやHCU、手術室が並ぶエリアの入り口がセキュリティがかかっており、
そこにインタフォンがあります)
入り口前のソファで随分待たされました。
何やってるんだろうねと話しながら忘れてるんじゃないかと12時ころに確認をすると
「どうぞ」とのこと、セキュリティカードで入り口を通り抜け、
長い廊下を歩いてICU内に入ると、カーテンで仕切られた区画が3つほど並んでいます。


真ん中の区画のカーテンを開けて、モニターやたくさんの点滴につながれている父のベッドに近づきます。

でもそのときの父の状態は尋常ではなく、苦しそうに息をし、ばたばたとして、白目をむいています。
モニターも血圧の低下や脈、呼吸の乱高下を示しています。

どうなってるのか理解できず動揺したまま、
ベッドの反対側に立った母が(たぶんあまり顔が見えてなかったと思います)「目開いてる?」と問いかけるのに「いや、開いてるというか…」と答えるのがやっとでした。
その場には男性の看護士が一人いたのですが、すぐにひとつの点滴をはずし、
「医師が処置をしますので一度ICUの外に出てお待ちいただけますか」と以外に冷静に話され、
ICUの外の廊下に出て待ちました。

途中で、緊急に二人の先生が来て、心電図をとってみてその後の治療方針を協議するとの説明がありました。

それから1時間ぐらい待ったと思います。
その間に兄と妹に電話して、状況が良くない旨を伝えました。
戻ってくるとちょうど処置してくれた呼吸器科の先生(主治医の上長?、呼吸器科の医長でした)が出てきてて、説明してくれました。
「今は落ち着いている状態になりました」、とりあえず一瞬ホッとしました。

さっきのショック症状は、そもそも不整脈が出ていたのを抑える薬を入れたことに反応したのではと思われること、
特定するためにはもう一度薬を入れることですが、今安定しているのでそんなことはしたくないとのこと、
心房細動(これ自体は老人だと二人に一人くらい持っているそうです)が起きて、
血液の送り出しが十分にできなくなり血圧低下を招いたとのこと、
心臓の動きを整えてあげることで血圧は戻ってきたが、心房細動自体は続いているのでそのうち心臓が疲れきってしまい、パタッととまることがあるとのこと、
血圧を上げる薬を使うと今度は心臓に負担が掛かるので、それも使いにくいこと、

出血の件も含め、全身に影響が出てきている状態で、残念ながら今の医療でも限界があり力及ばないところがあるんです、という、申し訳なさそうな、敗北宣言のような説明、

母の「あとどれくらい持つんでしょうか」という質問にも「もうなんともいえません」との返答、
気丈に「ありがとうございました」という母を横に、涙をこらえるのがやっとでした。
そしてそのときには、「ああ、もう今日でもおかしくないんだなあ」と悟りました。


そして再びICUに入りました。
ベッドの脇にはAEDもおいてありました。(使ったのか、念のためなのかわかりませんが)
今度は落ち着いて、ほんとうに静かに眠っています。

脈拍は高い状態(145くらい)ですが安定しています。
血圧は低く(90-66くらい)、もしもっと下がるようなら
脈が速くて十分に血液を送り出せていない可能性があるので、
もう一度不整脈の薬を入れて脈を落とさなければならないかも、
といっているうちに血圧が上がってきて(136-99)そこで安定しました。

しばらく様子を見ていましたが、モニターは安定、
本人は深く眠っている状態、
ICUなのであまり長くもいられず、とりあえず引き上げることにしました。
仕事に向かう電車から妻へ送ったメールでは
「(医師は)はっきりは言わないけど、2~3日もつか」と…。


その日の夜、兄が病院に行った際は、昼から鎮静剤を切っていたこともあり
時々苦しそうに動く様子もあったようです。

そのとき主治医の先生から聞いた説明では、
これは人工呼吸器が気管切開になったので鎮静の必要性が薄れたこと、
今の意識レベルがどの程度あるのかを確認したいとのことだったようです。
ただ、鎮静剤が切れたとしても、意識が清明かどうかはわからない、
低酸素とかで、何かのダメージがあったかも知れないしとのこと。

症状としては、不整脈→脈拍上昇という順番、その原因は不明です。
間質性肺炎の進行で肺の膨らみ方が小さくなってきていることが心臓にも負荷を掛けているのかも、
今日のショック症状は、脈拍を下げる薬を入れたくらいしか考えられないが、
そちらの専門医はあまりに少量に反応しており、ありえないといっているとのことでした。
(このとき、迷走神経が反応して血圧低下を招いた可能性も言及していたようです)

いずれにしろ、全体の状態は少しずつ低下している、
ただしこのまま長期戦になることもあるよう。
消化管からの出血はなく、点滴だけでは栄養を維持できないので
明日から胃への経管による食事を再開、というような話だったそうです。
少々脈拍が高くても血圧が下がらず、きちんと循環できるかがポイント、
心臓の状態自体はいいそうです。


夜、そんなメールをもらい、ちょっとだけホッとして、まずは寝られるなあという感じでした。


…長くなったので、つづく

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プロフィール

タクマロン

Author:タクマロン
横浜市青葉区在住。

2004年3月、3年ほど乗った16Vに次ぐ2代目として
赤象=95年式デルタ・コレッチオーネを購入、
2009年5月には2台目として赤蛇=98年式アルファGTV3.0を追加、
しかし2010年10月には、GTVから青ウーパールーパー=2004年式フィアット・ムルティプラへ乗り換えました。

イタリア車にまみれた日々の生活の中で、
クルマや息子のことなど綴っていきます。

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