スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

12月9日までの病状~その2

そして翌12月3日、この日は明け方から嵐のような大雨、
7時前には起きたのですが、厚い雲のため薄暗く、
窓から外を見ても(眼下が片側2斜線の国道なのですが)
街灯はまだついたまま、その光でかなり激しい暴風雨であることがわかります。
道路上には川のように水が流れ、
ヘッドライトを点けたままのクルマが激しい水音を立てながらゆっくりと走っています。
そんな中、息子に食事をさせながら自分の出勤の準備をしていると、1通のメール。
(妻は朝は早くに出勤するため、息子の面倒は僕が見ています。)

いつもは出かけるときまでメールなんて見てないのですが、
さすがに時期が時期だけに気になって開いてみると、兄からでした。

7時19分です。
「病院からTELあり。また血圧がさがったとのこと。
とりあえず昇圧剤を打って今すぐどうこうではないが、早めに来て下さいとのことでした。
とりあえず今から行ってくる。」との内容。
そのすぐあと、今日来られるかとの問い、息子を学校に送り出し、病院に向かうことにしました。
ちょうど家を出るころに雨はほとんど止み、少しずつ明るくなってきていました。
(学校からは、出たところで通常授業の連絡メールが来ました)

出勤の体制だったことと、落ち着けば会社に行くつもりだったこと、
この天気では道路は混んでいるだろうとの思いもあり、クルマにするか迷いつつも電車で出発。

病院は東京都立多摩総合医療センター、
JR西国分寺駅が最寄で家からは東急田園都市線、JR南武線、JR武蔵野線と乗り継ぐのですが、
南武線を府中本町で降りたところで武蔵野線が大雨の影響でとまっていることが判明、
そこまで何のアナウンスもなかったことに怒りを感じながらもタクシー乗り場へ、
でも長蛇の列だったため引き返し、南武線でほかの駅へ、
結局谷保まで移動してからタクシーに乗りました。

その間に兄からのメールで、昇圧剤が効いて血圧を上げることができ、
その状態を保つことはできているとのこと、処置のため外で待たされていることを知りました。


結局10時半くらいに病院到着。
やはり処置中で「ICU家族控室」で待っていた母、兄、そしてすぐ近くに住む父の姉と合流し、
しばらく待ってICUに入りました。

もう、「ICUだから手短に」とか、「一度に3人まで」とかと言われることはなく、
居たいだけ居ていいですよとのことだったようです。

状態は比較的安定しているようで、静かに眠っています。
時折痰がたまるのか、呼吸が乱れ血圧が低下しアラームが鳴り響きますが、
すぐに戻って安定します。
聞けば、明け方と今朝の2回ショック症状になりかけたとのこと、
前日の記憶から、そのまま逝ってしまってもおかしくなかったんだろうと想像できます。

でも、やはり心臓は結構丈夫なのか、よく持ちこたえてくれたと言う感じです。

しばらくして、兄が足の不自由な伯母をクルマで送り届けに出ていきました。

その後に主治医から、意識レベルも戻ってこないようだし過敏な反応をしないよう、
(無意識でも手が動いて人工呼吸器を外してしまう危険はあるそうです)
再び鎮静をかけていきますと話がありました。


その時点でももちろん呼びかけに反応するわけでもなかったのですが、
その点滴が繋がれて、ポタポタと液が規則正しく落ち始めるのを見たとき、
急に、ああこれで本当に、再び目を合わせることも、会話を交わすこともないんだな、
二度と意思を疎通することもないんだなという思いがめぐり、

勝手に涙が出てきて、しばらく止めることが出来なくなりました。

聞こえているのか、認識できるのかもわかりませんでしたが、
「ありがとう」をいいました。
「まだ聞こえる?」と問いかけながら、とにかくすべてにありがとうと伝えたかった。
ほかに話したいことはたくさんありましたが、
「ありがとう」以外の言葉は見つからなかった。


そして、ひとつだけ、その朝見た夢のなかの父の姿の話をしました。


それは何の脈絡もなく、目を覚ます直前でしょうか、目が覚めていたのかと思うぐらい鮮明に、

父がいつもかぶっていた帽子をかぶって、いつものチェックのシャツを着て、
病院の壁(のようなイメージでした)の影からゆっくりと歩み出てきました。
「出てきた」と一言だけつぶやいて…。

多分、前日のことがあり意識の底に深く刻まれているからということなのでしょうが、
僕にはどうしても、会いに来てくれたと思われました。

会いに来てくれたんだよね、

それは、3人の子供の中でちょっとはなれて暮らしている
(と言ってもせいぜいクルマで1時間なのでたいしたことではないんですが)
僕に対しては、いつも実家に呼んだりすることにもちょっと遠慮してたり、
行き帰りの安全を気遣ってくれたりしていたから、
きっとわざわざ出てきてくれたんだなあと思うのでした。


このときが、僕にとってはひとつの心の区切りになりました。
これが最後の会話(一方的ですが)だねと…。




午後になり、母と交代で昼食に行こうかと話し、
先にICUを出ました。
しばらくすると妹が姪っ子を連れてやってきました。


このときだったか、翌日だったか定かではありませんが、
主治医から決めておいてほしいと言われたのは、
もし心臓が停止したとき心臓マッサージをするかどうかです。
肋骨は確実に折れるそうです。
もしそれによって心臓が動き出しても、戻れるのが今の状態だとしたら、
それだったら、ただの延命でしかなく、それこそ父が望まない延命だろうなと思い、
やらなくていいんじゃないかと言いました。
母も同じ考えだったようで、僕と兄がそういうのを待って、
主治医に心臓マッサージはやらないと伝えました。


夕方、僕は息子を学童に迎えに行くため、横浜に戻りました。
兄と母は再び病院へ行き、
そこで主治医から状態の説明を受けたそうです。

兄からのメールは
「肺の状態は極端に悪くはなってはいない模様(X線撮ってたみたいです)。
消去法的に、循環系に障害があるのではないか、という見解になっている。
だとすると、何らかの感染症から敗血症を起こしていることが、昨日今日の症状悪化の原因と思われる。
その特定はできていない。
とりあえず使えるだけの抗生剤を使って抑えようとしている。
なお、血圧低下や低酸素でダメージを与えているかは確かではないが、脳の状態も清明とは言えない。
(意識レベルが鎮静剤を切ってもあまり戻ってこなかった)

あと昇圧剤にはすごく過敏に反応する(した)そうです。
次回、血圧低下時には脈拍に影響を与えないタイプの昇圧剤があるのでそちらを使う予定。

今はまた鎮静剤を入れています。ただたぶん声は聞こえているだろう、
とのことでした。」というものでした。


息子を迎えにいき、待ち合わせた妻を拾って再び病院に向かいました。
ICUに入ると、やはり静かに眠ったままで、モニターも安定しているようです。
息子には眠っているけど声は聞こえているよと伝え、みんなで話しかけました。

息子が絵本を1冊読んであげました。
「ずーっとずっとだいすきだよ」ハンス・ウィルヘルムの絵本です。
上手に読みました。

読み終わって息子がおじいちゃんに向かって「ずーっとずっとだいすきだよ」と言いました。

一生懸命手を握ってあげました。

きっと父は全部聞いててくれたと思います。


父のもう一人の姉と、父の妹夫妻が来てくれました。
みな自然と涙が浮かんできていますが、受け止め方は少しだけ違うのかもしれません。
父は5人兄弟(姉、姉、前年に亡くなった兄、本人、妹)で、
皆、小さいころに洗礼を受けた敬虔なクリスチャンです。
ただ、父だけは洗礼を受けていません。
洗礼を受けようと思っていた牧師が転属になり、後任の牧師が気に入らなかったと言うような
理由だったようです。
でも、そういう環境で育ったので(そもそも祖父母がクリスチャンでした)、
その辺の新米牧師よりよっぽどクリスチャンだという変な自負はあったようですが…。

そんな背景もあり、「死」と言うものに対して「神の身許にいく」と言うような、
少しだけ穏やかな気持ちになれるのかなと思います。


あとは本当に神頼み、
奇跡が起きないかな、よく「奇跡的に…」って言う話あるじゃないかと、
一生懸命前向きに考えるしかありませんでした。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

タクマロン

Author:タクマロン
横浜市青葉区在住。

2004年3月、3年ほど乗った16Vに次ぐ2代目として
赤象=95年式デルタ・コレッチオーネを購入、
2009年5月には2台目として赤蛇=98年式アルファGTV3.0を追加、
しかし2010年10月には、GTVから青ウーパールーパー=2004年式フィアット・ムルティプラへ乗り換えました。

イタリア車にまみれた日々の生活の中で、
クルマや息子のことなど綴っていきます。

月別アーカイブ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

お気に入り
おすすめ
父の日・ギフト・花束・母の日 英会話スクールWILL Square 国内格安航空券サイトe航空券.com ブログ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。