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12月9日までの病状~その4

やはり、「後悔先に立たず」ですね。
12月7日(火曜日)、この日は会社を早退するつもりで朝は普段通り出勤しました。
ここ2~3日は状態も落ち着いてたので、
少し気持ちにも余裕がありました。

午後兄からもらった先生との話のメールによると、
集中治療室(ICU)から一般個室に移ることになったとのこと、
それは決して良くなったからではなく、元々基本的に2週間までという基準があり、
残念ながら症状の改善が認められないため、ということだそうです。
早ければその日の午後か、翌日、
前日に撮ったと思われるX線では、間質性肺炎の悪化が見られ、
はっきり言えば、もうなすすべがない、ということ、
せめて家族が周りに気兼ねなく付き添える一般個室に、という配慮もあるのかも。

治療としては、なるべく身体に負担をかけないようにという方針で、
抗生剤は続けますが、浮腫(むくみ)がひどいので輸血や昇圧剤はあまりやらないとのこと。

状況としては昼ごろは血圧が低めで上が80を切ってアラームが鳴ることも度々、
脈は130~140台と高めを維持しているようです。
看護士さんの話では鎮静剤を少なめにしたためか、
頭を動かしたり、左腕を少し動かしたりといったこともあるのですが、
呼吸も脈拍も苦しそうなので、もう少し鎮静をかけるとのことだそうです。

僕は会社を早退し、息子のスイミングスクールが終わる時間に合わせて息子と奥さんを拾い、
夜の7時ころに、病院に入り、兄、母と合流して面会しました。
結局そこまでに部屋の移動はなく、ICUのままです。
といってもICUの中でも最初はカーテンだけで仕切られていたエリアだったのが、
確か日曜日からICUの個室になっています。
周りにも気兼ねすることはなく比較的ゆっくりできるのですが、
ついつい意味を考えてしまいます。

一見穏やかですが、何か反応してくれるわけでもありません。

呼吸も人工呼吸器が定期的に送り込む酸素のリズムに合っているだけのようです。
たくさんの点滴の管や、モニターにつながるセンサーが取り付けられていて、
ここまで来ると本当に本人の意志はどこにあるのだろう、と考えさせられてしまいます。

正直、こういう時間をかさねて、
楽にさせてあげたいという気持ちが大きくなってくるのも理解できるようになります。
まだ希望を捨てる気にはなれませんが…。

毎日帰り際には、最後まで特に家族の声は聞こえているんだよということを信じて、
「また明日来るからね、じゃあまたね」と言って帰るようにしていました。
でもこの日、翌日の仕事の関係で何も変化がなければ来ないつもりだったこともあり、
たぶん「また来るね」といって帰ったと思います。

結局この日会ったのが最後でした。


翌日、昼前に兄から一般病室へ移動されたとメールをもらいました。

見たところの変化はないとのこと、ICUと違い、部屋にはモニターが置いてないようで、
数値的なことはわからないようです。

僕は翌日の午後は半休をとって早めに行くと伝えました。

昼過ぎには、先生の話として人工呼吸器の気管内のチューブを太いものに交換したとのこと、
もともと太いものだったのですが、気管が太いらしく隙間が出来てしまうらしいです。
そのほか呼吸はおちついているとのこと。

夕方には兄がデータを覗いたのか、
午後2時で血圧が120-65、酸素92、体温36.9℃、
夕方は酸素94、体温37.1℃と
データとしては落ち着いているいい状態です。

今日もこのままかなという感じだったので、
会社の属している協会の委員会に出席し、またその忘年会にも参加しました。

忘年会の1次会、まあ程々にお付き合いをし、
流れで2次会のカラオケへ。
お付き合いで行きましたが、さすがにここではお酒はやめておきました。

結局帰ってきたのは日付が変わるちょっと前。
それから風呂に入って出てきたちょうどそのとき、携帯が鳴りました。

兄からでした。
病院から呼び出しがあったとのこと。
急に呼吸が落ちた、すぐ来てくださいという話、
もう駄目かもしれないけど来られるかとの問い、すぐに準備をして家を出ました。

近い駐車場に止まっているデルタに乗り込み、
病院へ向かいました。

でも気持ちは結構落ち着いてました。
半分はわかっていたということ、もし間に合って会えても意識はないはずということ、
そんなことからだと思います。
逆に、なんで今日だけ行かなかったんだろう、
せっかく一般病室に移ったんだから行けば良かった、という後悔もありました。

15分くらい走った頃、また携帯が鳴りました。
「やっぱり駄目だった。」
兄が着いたときも、機械こそ動いているけど恐らくもう息はなかったようです。
直後に着く妹を待って、最後の宣告を受けたそうです。
日付は変わって12月9日12時39分。

1時5分頃に着いたときには、
人工呼吸器や点滴、モニター類は外されていました。
でもまだ温かかった。
少し楽になったような、笑っているようなにこやかな表情になったような気がしました。

最後までお疲れ様でした、
家族を支えてくれて、孫たちまで愛情を注いでくれて、
本当感謝しています。ありがとう。
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プロフィール

タクマロン

Author:タクマロン
横浜市青葉区在住。

2004年3月、3年ほど乗った16Vに次ぐ2代目として
赤象=95年式デルタ・コレッチオーネを購入、
2009年5月には2台目として赤蛇=98年式アルファGTV3.0を追加、
しかし2010年10月には、GTVから青ウーパールーパー=2004年式フィアット・ムルティプラへ乗り換えました。

イタリア車にまみれた日々の生活の中で、
クルマや息子のことなど綴っていきます。

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